深く真実のいのちを見つめる その2         高史明

第9章   

  あの戦争においては、実に恐ろしい地獄が出現したのでした。ここでその末期に死んでいった若者たちの声を揚げて見たいと思います。タゴールの言葉が、改めて身に沁みることです。『きけわだつみのこえ』にある声の部分です。

 長谷川 信
  明治学院高等部学生。昭和十八年入営。二十四年四月特攻隊員とて沖縄沖にて戦死。二十三歳。

 昭和一九年四月二〇日
 (陸軍飛行学校にて)急に梁川が読みたくなった。 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつ心 単純なるもの、美しい 素朴なるもの、美しい 純真なるもの、美しい 大らかなるもの、美しい 編上靴の配給を受くる時、自分の飯を貰う時、腹が減って飯を前にした時、人間の姿や表情は一変する。明日から食堂に行って食卓に座る時、お念仏をしようと思う。あのいやな目付きを自分もしていると思ったらゾーツとする。眼を閉じて、お念仏しようと思う。

 五月十日
 ―実に馬鹿馬鹿しい。近代文化の精を極めてこれからの戦争に処する我が国の軍隊に文字を一字一句間違えたらいかんーの原始的な火の能率的な国民学校ながれの者が存在するとは、ただあきれるばかり。

  五月二十四日
 あと、死ぬまでに俺の心は、どこまで荒んてで行くことか。日本民族は果して。― 十一月二十九日
俺たちの苦しみと死とが、俺たちの父や母や弟妹たち、愛する人たちの幸福のために、たとえ僅かでも役立つならば…

 一月二日
 ただ一人にて生まれ、

 一月十八日
  歩兵の将校で長らく中支の作戦に転戦した方の話を聞く。 おんなの兵隊や、捕虜の殺し方、それはむごいとか残忍とかそんな言葉じゃ言い表せないほどのものだ。俺は航空隊に転科したことに、一つのほっとした安堵を感じる。つまるところは同じかもしれないが、直接に手を掛けてそれを行なわなくてもよい、ということだ。
 ――人間の獣性というか、そんなものの深く深く人間性の中に根を張っていることをしみじみと思う。
 ――今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対し合う民族は、各々その滅亡まで戦いを止めることはないであろう。 恐ろしきかな、あさましきかな。 人類よ、猿の親類よ。  何という言葉でありましょう。こうして戦場で「いのち」を終えた若者の数はそれこそ、おびただしいものだったのです。この若者たちの声に深く深く耳を傾けるなら、そこには敵も味方もなかったことが教えられます。無数の仏の心です。その心を私たちは、いまどのように頂いているか。あの死んでいった若者たちは、父や母や兄弟や日本を愛していたのでした。あの軍国主義・帝国主義を愛していたわけではないのです。ある若者は書いていました。自分たちは死んでいく。しかし、日本の軍隊とか大東亜共栄圏のためとか、そういうために死ぬのではないと。そういうことで、一度きりのいのちを絶たれるのではとうてい納得いかないと言うわけです。それを死の間際にして、初めてはっきりと意識するのです。もう一人、読んでみます。

 和田稔
 東大法学部学生。昭和十八年十二月入団。

 昭和二十年七月二十五日
人間魚雷「回天」搭乗員として訓練中戦死、
二十三歳

  昭和二十年二月一日
 初めて回天搭乗。 漱石の『こころ』を読み、尾崎士郎の『人生劇場』を読む。いずれも、かつて眼を通してものであるが、このようなさっきのみちた生命になってしまった私にとっては、涙く゜ましく、ことさらな感慨めいたものであった。 三月二十六日 お父さん、お母さん、稔はこんな所にいます。
 ――お父さん、三好という中尉が死にました。船の底にもぐりそこねて、ぶっつかったのです。上のハッチから水が入って二時間もして揚げられた時には、すっかりぐにゃんとして、顔は血だらけで死んでいました。― 五月六日 あと一月の命の中には、今までの胡乱な生活の結論を見出そうとでもいうのか。あきらめきれない砂時計の針がまわってゆく。私の突撃の時を動きのとれない時と、それでもそっと怖れていることもあるのだ。  うわすべりだったためにのみ、私は今まで平気な冷淡な顔をしていた。 そして今、始めて今、私は本当に私の過ちを狼狽している。あと一月の生命に何の装飾もない私を見つけだそうとその私のあがき。私には、もう自分自身がなくなってしまっているようだ。

  六月二十日
  死生を思わずして、ただ日々の虚弱虚妄のみに大言壮語し得るは、死生を超えたるに似たれども、断じて然らざるなり。―余の一生は、ただ虚栄の一生にして、卑屈の一生なりき。しかれどもその余にとりて、この出撃一ヶ月の静観の日には、いかなる意味におきても余の障碍に一つの句読を打ちたるものならん。―

 ある若者はまた、書いていました。

 「出陣を前にして家に帰った。老いた母は僕に涙を見せまいとして婦人会の集まりに出て行った。その後ろ姿を心の中で拝みつつ僕は涙を流した」と。なんという涙でありましょう。親鸞聖人にお言葉がありました。

 「如来ともうすは諸仏をもうすなり」と。

 この若者たちこそは、まさに諸仏です。敵・味方を超えている。その諸仏の声が聞こえなければ、私たちの方こそが浮かばれないと言えます。にもかかわらず、この若者たちを、生者中心に対象化して見るのみで、「死んだものは浮かばれない」などという私中心のものの考え方がいまも、広く横行しています。

 私たちは、その物の考え方をこの二十世紀最後において、いまこそ根底から覆していいのではないでしょうか。それがなければ、いつまた恐ろしい全面戦争に落ちるかわからなのが、現代の不安です。そのときは、世界が壊滅することにもなるのではないか。第二次世界大戦は、まさにこの地球に新しい戦争を出現させた最初の戦争だったわけです。

 原子爆弾の爆発は、その恐ろしい警告だったのではないか。最後にその劫火を浴びた、若者の遺書を読んで見ます。

  鈴木実
東大法学部学生。昭和二十年八月六日原子爆弾のために負傷。

八月二十五日午後九時三十分大野陸軍病院にて死亡。二十歳。

遺言状
 「父母上様。親不孝の自分でしたがどうか御許し下さい。これから自分は親に孝養を尽そうと思っていましたがついに斃れました。自分は貧しい中より第八高等学校、東京帝大へ進ませて頂き、常に感謝して参りました。自分は学生時代からいろいろ父、母上様にご心配を掛けましてこれから孝行する時代に入らんとする時、倒れるのが残念です。姉上様や妹たちは御嫁入りも思い止まり、国民学校児童の教育にあたり、傍らよく父母上様のお手伝いをして下さいました。自分は何とも御礼の申しようもありません。
 父、母上様は晨(あした)に月を仰ぎ、夕べに星を抱き、こつこつとお働きになって自分を大学にまで進ませて下さり、本当に父、母上様に苦労ばかり掛けて、何の御恩返しも出来ずに死んで行く自分は、残念でお詫びの申しようがありません。しかし父母上様、自分の身は死しても魂は必ず仏前にて、父、母上様や姉上様たちを常に見守っています。魂となって父母上様に孝養を尽したいと思っています。どうか父、母上様、姉上様、妹たちよ泣かないで下さい。魂となって常に皆と一緒に働き、皆と一緒に食事をし、皆とともに笑い、皆と悲しみを共にします。
 これから秋に入り百虫の声を聞くにつけ、冬ともなりて落ち葉の寂しい林を見るにつけても決して泣かないで下さい。そして如何なる事態に遭遇するも身体に十分注意して、断固として事にあたり、いつまでもいつまでも達者でお暮らし下さい。
 父、母上様。去る六日の原子爆弾は非常に威力のあるものでした。自分はそのために顔面、背中、左腕を火傷致しました。しかし軍医殿をはじめ看護婦さん、友人たちの心よりなる手厚い看護の中に最期を遂げる自分は、この上もない幸福であります。鈴木実」(片仮名を平仮名に。漢字の一部を今日風に改める)  

 何と言う言葉でありましょう。鈴木実君は繰り返し、繰り返し「泣かないで下さい、泣かないで下さい」と言っていました。「泣かないで下さい。泣かないで下さい」です。きっとこの遺書を目にしたご家族は、みんな激しく泣かれたのではないでしょうか。しかし、この遺書を見つめていると、その生者よりも、生者を見守っている仏さまの深い涙が感じられてなりません。仏さまの方こそ、深く泣いているのではないか。この若者は、泣かないで下さいと言いながら、深く深く泣いているのです。

 その一方、この遺書には、あの時代、絶対的とされていた天皇中心の神の国については、一言も触れていませんでした。その言葉のすべては、父、母上様、姉妹に捧げられているわけです。国家と人間の間のこの亀裂は、何を示すものでありましょう。 恐ろしいほどの内憂外患の圧力に迫られての事とは言え、明治の国家システムには、明らかに生者中心の知恵の深い矛盾が潜んでいたのだと言えます。

 仏教がその当初は排除されていたのです。そのことの意味が、つくづくと考えさせられます。間もなく幕藩体制とのかかわりにおいて、その両者の間に妥協が成立したのでありましょうが、仏教には日本だけの問題に止まらない世界史的課題があって、それが人類史のこととしてこの両者には、どれほど深く見つめられる眼差しがあったと、それがいまに思い返われるのです。

 二十世紀の人間は、素晴らしい文明を開くことに目が眩んで、人類史とともにある仏さま知恵と涙を見失っていたと言うほかありません。なぜそうなるのか。人間の知恵とは、冷たい記号からなるのでした。直感と概念が分裂しています。その合理的理性は、抽象的な記号とともにあって、いつも仮の世界を形成しているわけです。人間はよくよく気をつけていないと、仮を現実と錯覚してゆくわけです。それ故にまた、人間の実感は、いとも簡単に概念操作の網に絡め取られるのでありましょう。

 人間の世紀は、その人間の知恵の根っこに横たわる矛盾を、いよいよ極限にまで深めたのでした。二十世紀の戦争は、この根源的矛盾がいよいよ絶対化されてゆく、その第一歩を踏み出したことの証拠なのではなかったか。「にんげんをかえせ」の叫びは、まさに恐ろしい矛盾です。そして、今日の人間もまた、いまなおその叫び声を心底深くに抱え込んでいるのではないでしょうか。

  例えば、恐ろしい第二次世界大戦が終息して、僅か五年後という時に朝鮮戦争が起きています。二十世紀の戦争の闇は終わっていなかったのでした。冷戦構造と呼ばれる奇怪な世界体制が生まれ、長い植民地を生きた土地が、新しい戦争の舞台となつたのでした。しかも、その時、日本の総理大臣吉田茂は、この隣国の不幸を「天佑だ」と見たと言うことです。天佑とは、天の助けということです、朝鮮で起きた戦争を、日本にとっての天の助けだと見ているわけです。言うなれば、これで戦勝国の日本への恐ろしい圧力を回避できると言うことでありましょう。 そして、この吉田首相の判断は、その時点では正確だつたのでした。

 戦後の日本は、悲惨な朝鮮戦争のお陰で、アメリカの圧力が回避できたわけです。それどころか、かつての死闘の相手から、膨大な支援を受けて、たちまちにして世界の経済大国の道に新しく乗り出すことにもなっているのです。その意味で言うなら、政治家としての吉田首相は、まことに傑出した人物だと言えます。非常に優れたリアリストだった。しかし、この政治的リアリズムには、無量の仏さまを自分の方から対象化しているのであって、生者中心です。その自分が仏さまの方から、常に見つめられているという「仏智」への慄きはなかったと言えましょう。

  思えば、明治の福沢諭吉もまた、非常に優れた理知的な人でした。しかし、その理知の人には、人間の理知への信頼はあっても、仏さまに見つめられている人の感性は、ほとんどなかったのではないか。彼の宗教観は、好き人が好きなようにという程度のものだったと言います。この理性が『脱亜論』の元だったのでありましょう。そして、この「脱亜」こそは、日本が新しいし弱肉強食のゲームに引きずり込まれる第一歩だつたわけです。第二次世界大戦は、すでにこの時期の人間中心の知恵によって用意されていたとも言えましょう。そうであれば朝鮮戦争の勃発を、天佑と受け止めるリアリズムは、まさに第二の脱亜論だったと言っていいと思います。

 今日の私たちは、その人間中心のリアリズムのそろそろ終点にきているのではないでしょうか。 思えば、生者中心の知恵は、ほぼその生者の寿命に見合っているのでした。たとえそれが、社会的に認知されるものであっても、ほぼ五十年を過ぎると更新が求められてくるわけです。それこそが歴史の教訓というものでありましょう。ところで、仏教には、その人間的寿命とは、歴史とともに次第に短くなってゆくという指摘があるのでした。

 例えば命濁という言葉でもって、人間の寿命は自分中心の文化が進歩して行くにつれて、やがては十歳になって行くであろうと指摘されています。十歳とは、いわば自我誕生の年です。人間とは、まさに人間になったとき、その本来の生を見失ってゆくと言うのです。まるで空想のようです。

 しかし、今日の文明国における少年たちの不安を見つめるとき、この命濁という眼差しに慄きを覚えるのは、きっと私一人ではないと思います。 いや、それでなくても、私たちの現代は、絶対戦争の時代に落ち込みつつあるのでした。

 第二次世界大戦の末期、広島と長崎に吹き上がった原爆の劫火は、その前兆ではなかったか。広島・長崎の原爆は、高性能火薬五万トンが爆発するほどの破戒力だったと言います。しかも、人間はその後、その生者中心の知恵でもって太陽エネルギーのからくりを解明したのでした。その科学から、何が生まれているか。核融合爆弾です。広島・長崎の原爆は、核分裂爆弾でした。しかし、新しい原子爆弾は、核分裂爆弾ではなくて、核融合爆弾です。その爆発は、太陽の爆発と同じ原理で起こるわけです。アメリカがビキニ環礁で爆発させたその核融合爆弾の威力は、一発で高性能火薬の千六百万トンの爆発に相当したと言います。 広島では、五万トンに相当する原爆で二十万都市が壊滅したのでした。千六百万トンの爆弾は、それの三百倍以上です。そんな爆弾が、地上で爆発したら、私たちの地上はいったいどうなるのでありましょう。それこそ想像を絶する破壊です。

 そして、その当時はまだソ連という国があったのでした。このソ連がそのとき、アメリカに負けてはならじとばかり、今度はノバヤゼムリア島の実験場で、同じ核融合爆弾の爆発実験をしています。この核爆弾の威力は、なんと六千万トンだったと言います。しかも、今日の世界には、この爆弾を地球の反対側に向かって発射して、誤差数メートルという正確さで飛ぶミサイルもあるわけです。 「命濁」とともにある五つの濁りを、ここに『阿弥陀経』から引用して置きたいと思います。

 「釈迦牟尼仏、能く甚難稀有の事を為して、能く娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁の中にして、 阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間に信じ難き法を説きたまう」

  「劫濁」とは、時代の濁りです。「見濁」は思想の濁りを意味します。「煩悩濁」は、いわば人間の欲望の濁りであり、「衆生濁」は、人間の資質の低下と、衰えです。そして、最後はまさにいのちの濁りを見つめる「命濁」であるわけです。今日は、まさにこの五濁りの極みにあるのではないでしょうか。

(『深く真実のいのちを見つめる』 その2)