深く真実のいのちを見つめる その2     高史明

第5章

 福沢諭吉の『世界国尽』は、明治維新の一年後の一八六九年ものでした。ところで、彼は一八七二年になって、さらに『学問のすすめ』を書いていました。この論文もまた、きわめて合理的・理性的な思想の表明だと言えましょう。例えば、彼はそこで言うわけです。

  「―いま世界を見渡すに、文明開化とて文字も武備も盛んにして富強なる国あり。あるいは野蛮未開とて文武ともに不行届きにして貧弱な国あり。一般にヨーロッパ、アメリカの諸国は富んで強く、アジア、アフリカの諸国は貧にして弱し。されどもこの貧富強弱は国の有様なれば、もとより同じかるべからず。然るに自国の富強なる勢いをもって、貧弱なる国へ無理を加えんとするは、いわゆる力士の力をもって、病人の腕を握り折るに異ならず。国の権義において許すべからざることなり」と。

  実際、これがあの時代の状況だったのでした。彼の状況認識は正確です。そして、この状況認識から、彼は人々に学問の大切さを説いたわけです。その『学問のすすめ』は、次の言葉によって始められていました。

  「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らずといへり−」

 美しい言葉です。 福沢諭吉は、アメリカの独立宣言の思想を学んでいるのでした。そして、自らを省みて、彼我の違いの根っこを考えるわけです。

 「人学ばざれば智なし、智なきものは愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」

と彼は言います。つまり、これこそが彼我の力の違いの根っこだと言うわけでありましょう。

 ところで、彼がその「学ぶ」という一点において見ていたのは、何であったか。

 「学問とは、ただ難しき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学というにあらず」

と彼は言います。そして、続けていました。

 「されば今かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普遍日用に近き実学なり」

と。 彼が『学問のすすめ』で考えていたのは、「実学」だったのでした。いま少し彼の言葉を上げて見ましょう。彼は言います

 「一科一学も事実を押さえ、そのことにつきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用に達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく皆ことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありてのちには士農工商おのおのその分を尽くし、めいめいの家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり」と。

 ところで、この「実学」とは、言わば科学のことなのでした。彼は彼我の力の違いの根っこに、この科学のあるなしの違いを見ていたのでした。しかも、それが身の独立、家の独立、ひいては国家の独立にかかわる要であると見ている。その見識は、まさにあの時代の状況を底から見抜いていたと言えましよう。 ヨーロッパ列強とアジアの力の差の根っこにあったのは、まさに「科学」だったわけです。福沢諭吉の指摘は正確です。

 しかし、この合理的理性の持ち主であった彼が、それからわずか十三年後には、どのような意見の持ち主となっていたか。日本がいわゆる文明国の圧力を受けていたとき、朝鮮や中国もまた、大きな激動に見舞われていたことは、すでに見た通りです。そして、日本は、明治維新によって、近代化への道を切り開いたのでした。しかし、朝鮮ではその近代化は挫折します。金玉均らの甲申事変は、いわゆる三日天下で潰えてしまったわけです。その翌年、一八八五年のことです。彼は『脱亜論』を発表して、何と言っていたか。

 「わが日本の国土は、亜細亜の東辺に在りと雖も、其の国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して、西洋の文明に移りたり、然るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那といい、一を朝鮮という。――されば、今日のはかりごとを為すに我が国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可からず、寧ろ其の伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従って処分すべきのみ」と。

繰り返しですが、いま一度ここに『学問のすすめ』の言葉を上げて見ましょう。かつての彼は、いわゆる文明国の横暴に対して言っていたのでした。

 「―自国の富強なる勢いをもって、貧弱なる国へ無理を加えんとするは、いわゆる力士の力をもって、病人の腕を握り折るにむ異ならず。国の嫌疑において許すべからざることなり」

と。それがこの意見になっているわけです。この違いは何でありましょう。いかにも不合理です。しかし、これこそがまさに正確な対象認識からうまれた理性的な見識なのでありましょう。つまり、近代の人間中心の理性には、この合理的であるが故のこの不合理が潜んでいたわけです。そして、この不合理こそがまた、私たちの今日にも通じている課題ではないでしょうか。

  当時のことで言いますなら、いわゆる日韓併合が起きたのは、それからわずか十五年後のことでした。この事態を、当時の人々は、どのように受け止めたことでありましょう。朝鮮を舞台にして、日清の両軍が戦端を開くことになったのは、それから九年後ことでした。日本はこの戦争に勝利します。その勝利に酔うとき、誰がそれからわすが半世紀後の世界大戦の惨状を予測したでありましょう。一方、日韓併合は、まさに朝鮮人にとっては、力士の力をもって腕を握り折られる不幸に相当するものであったわけです。対象認識の正確さは、まさしく不合理の落とし穴だとも考えられます。

 そうです、人間中心の理性には、元からしてこの闇が潜んでいたのでした。科学的認識は、確かに合理的です。しかし、その合理性が、不合理を抱え込むのです。ガリレオの地動説を考えて見ましょう。彼の地動説の数学的な証明は、まさに偉大なものです。合理的です。それはまさにヨーロッパに科学を誕生させた根っこだとも言えましょう。その文明が、十八世紀、一九世紀になって、ヨーロッパとアジアが広く出会ってゆく時代を開いていたわけです。

 しかし、「数」とは、何でありましょう。二二が四は、確かに合理的です。しかし、この自然界には、元から言えば、「数」はなかったのでした。数が機能しているのは、人間世界だけです。それをよくよく考えるなら、地動説の数学的証明とはまた、人間が自らのいのちの古里でもある自然界から、遠く離陸してゆく狼煙でもあったと言えましょう。そもそも合理的とは何であるかと言うことです。

  そうです、ガリレオとほぼ同時代の人にデカルトがいました。彼に『方法序説』があります。彼はこの哲学思想の冒頭で、つぎのように言っていました。

 「良識はこの世で最も公平に配分されているものである。――すなわち、よく判断し、真なるものを偽なるものから分つところの能力、これが本来良識または、理性と名付けられるものだが、これはすべての人において生まれつき相等しいこと。―」と。

  デカルトは、ヨーロッパの近代文明の始祖と見なされていますが、それはまさにここに確認されている理性の発見が、万人に認められることになったからでありましょう。つまり、彼のその思想は、時ともに多くの人々に受け入れられ、それとともに人間中心の時代が起きているわけです。デカルトの思想こそは、まさに人間の時代の根っこです。だが、その明こそがまた、暗でもあったわけです。彼の思想が、人間の世界に新しい平等の基礎を開いたのは確かですが、それに安住して良いかということです。その文明人によって、理性がないと見なされた世界はどうなっておりましょう。 実際、人間平等の根拠に理性を据えたデカルトは、当然のようにその理性において自然を対象化してゆくことになります。そこにどのような世界が現れるか。デカルトの言葉を上げて見ましょう。

 「――それらの一般的原理が私に教えるところでは、人生にきわめて有益なもろもろの認識に至ることが可能なのであり、学院で教えられる理論的哲学の代わりに一つの実際的哲学を見いたすことがことができ、―火や水や風や星や天空やその他われわれをとりまくすべての物体のもつ力とその働きとを、―職人のわざを用いる場合と同様それぞれの適当な用途にあてることができ、かくてわれわれ自身を、いわば自然の主人かつ所有者たらしめることができるのだからである。」

 まさしくデカルトの理性の発見は、そのまま科学の成立に通じていたわけです。そして、それはまた自然の所有者としての人間中心の思想に至ることが、ここに明瞭に示されています。人間世界の新しい平等の地平が、そのまま人間と自然の抜き差しならない分裂になっているとは、なんと言う矛盾でありましょう。人間の理性の恐ろしい矛盾です。いや、この矛盾の恐ろしさは、人間と自然を引裂いているばかりではありません。この知恵に潜む矛盾こそが、人間と自然を引裂くのみに止まらず、人間同士を引裂き、ついには世界を全体戦争に落とし込んでゆく人間の根っこの闇だったわけです。戦争が政治の手段となるのも、まさにその闇の究極の現れだと言えましょう。

 福沢諭吉の合理的理性もまた、その根っこに人知に潜むこの矛盾を深く潜めていたのでした。それこそが「力士の力をもって、病人の腕を握り折るー」と言っていた彼から、『脱亜論』が生まれてきたのは、いわば必然的だったのでした。 思えば、ヨーロッパ近代が生んだ優れた哲学者カントには、すでにこの人間中心の文明に潜む闇を抉る眼があったのでした。彼は真の平和を求めて『永遠平和のために』を書いていますが、そこに次の言葉があります。

 「―われわれの大陸の文明化された諸国家、とくに商業活動の盛んな諸国家――かれらが外の土地やほかの民族を訪問する際に示す不正は、恐るべき程度に達している。――それはかれらが住民たちを無に等しいとみなしたからである。―」

 いわゆる人間中心の理性とは、また自分たちと同じ人間が人間に見えなくなる闇でもあったわけです。なんと言う理性の闇でありましょう。

(『深く真実のいのちを見つめる』 その2)