深く真実のいのちを見つめる その2      高史明

第4章

 私は、文明開化という言葉を前にするとき、しばしばこの福沢諭吉を思い起こします。彼は言わば、日本において言うなら、この文明開化の流れを代表する人物の一人だと言えましょう。彼が今日の一万円札の顔になっているのは、それ故でありましょう。

 ところで、その彼は文明開化を、どのように見ていたか。彼に『世界国尽』があります。 彼はそこで文明について、次のように述べていました。

 「―文明開化というは、礼儀を重んじ正理を貴び、人情穏やかにして風俗やさしく、諸職の術は日に新たにして、学問の道は月に進み、農業を勤め工作に励み、百般の技芸尽さざるものなく、国民業に安んじて天の幸いを受け、末頼もしく自から満足せり。亜米利加合衆国、英吉利、仏蘭西、目耳曼、阿蘭陀、瑞西等の諸国は文明開化の域に至れるものというべし。――」

 福沢諭吉は、同時の人としては珍しく、亜米利加にもヨーロッパにも出かけた人でした。しかも、異文化の人々の生活を、深く見つめることのできた人です。彼の文章は、まさに彼の眼差しを、正確に反映していると考えられます。正確です。しかし、この正確さとは何かということです。彼はこの文章の中で、いわゆる文明と対比させて、中国や土耳古などを未開・半開と位置付けていました。言うなれば、かの地の人は、文字学問はあっても、「嫉妬の心深くして他国の人を忌み嫌ひ、婦女子を軽蔑し、弱き者を苦しむる風あり」というわけです。

 また、彼は北亜米利加の人たちについては、文字あれどもこれを読み書きする者は甚だ稀れなり、―道具仕掛けの工夫を知らず、と見なして、これを「蛮野」と位置付けていました。阿弗利加の人々については、もはや言うまでもありません。 しかし、彼の目は、はたして真実を見ているのでありましょうか。

 彼は北アメリカの人々について、「道具仕掛けの工夫を知らず」と言っていますが、それは単に彼にはその土地の人々の道具が、道具に見えなかったというだけのことではないのか。つまり、彼の目には、機械文明の道具は見えていても、自然が培ってきた彼の地の人々の生活の仕掛けは見えなかったわけです。

彼の言葉は、彼が善しとする価値観の反映に過ぎないのです。にもかかわらず、彼はこの価値観を基軸にして、彼の地の人々を野蛮と見ているわけです。いわゆる人間中心の理性とは、彼のこの眼差しを言うのではないでしょうか。これこそ生者中心の理性です。自らの対象に向かうときには、鋭く深くなりますが、他者によって自らを省みることは、まずないと言っていいのです。それこそ人間中心の知恵の闇でありましょう。 福沢諭吉の言葉は、まさにこの自分中心の闇をよくよく示していると考えていいと思います。

世界を対象化してゆく眼差しは、そのまま世界を差別する眼差しになるのでした。それが近代の開いた人間中心の合理的理性というものではなかったのか。いま少し彼の言葉を追いかけて、その合理的な理性にどんな不合理が潜んでいたかを見届けたいと思います。

(『深く真実のいのちを見つめる』 その2)